「女王の為の賛歌(ほめうた)」 (上)
まだ、世界が混沌としていた時代の物語。
そう、この世界が、北都・南都・東都・西都の四つの都に分裂し、血で血を洗う明日の見えぬ争いに明け暮れていた頃のお話。
まずは女王を称えるための賛歌(ほめうた)からはじめよう。
白き女王 吹雪と戯れ
気高き女王 氷を弄び
眩しき女王 獣を従え
麗しき女王 孤高を護る
そこは、人々から【絶対王朝】と称される地。北都よりもまだ北に広がる絶対零度の世界。
吹雪の止まぬ常冬の大地は分厚い氷で覆われたまま、腹を空かせた獣は獲物を求めてうろうろと徘徊し、空は灰色の雲で覆われ太陽が顔を出す事も稀な極寒の地である。
故にこの地には昔から人は住まず、居を構えるのは女王《スノーホワイト》只一人なのである。
広大な領地を誇る【絶対王朝】のちょうど中心に位置する、巨大な建築物。まるで古代の聖堂を思わせる構造物。
それはまさしく全てを氷で造られた大宮殿。一点の濁りなきも見られぬそれは、まさに【氷晶宮殿(アイスクリスタルパレス)】と呼ぶに相応しい。
置物の鉄鎧が整然と並ぶ宮殿の大広間には、氷を削って造られた透明の玉座が鎮座している。そして、そこに座るのは、退屈そうな顔で肘を突く少女。
一見して十代半ばにしか見えぬ少女だが、床に付きそうなほど裾の長い純白のローブを羽織り、金や鉱色石で彩られた首飾りや腕輪で着飾り、右手には頭蓋骨を象った装飾が為されている禍々しき杖を握っている。
髪は艶やかな金髪を腰まで伸ばし、肌は白雪のように白く、瞳は透き通るほどに蒼く、唇は紅を塗ったかのように紅い。
釣りあがった瞳や常に冷笑をたたえる口元など、どことなく勝ち気そうな雰囲気を漂わせる美少女である。
美少女といっても、《スノーホワイト》がこの世に産まれて、既に百年余が過ぎている。しかし、それは人間の視点で見た話であり、外見も中身はあくまで十代半ばの少女だ。単純に時の流れが人よりも遥かに遅いだけの話だ。
彼女が何者なのかは誰も知らない。人は《スノーホワイト》を伝承の中で「神の落胤」とも「悪魔の化身」とも呼んでいる。ただ、猛吹雪を爽やかな春風のように感じ、氷の上に寝そべってみても冷たさを如何ほども感じぬ存在。氷の統率者であり、制御者である点はどの伝承においても一致している。
実は己が何者なのかは本人にも定かではない。気付いた時には、彼女は高貴なる者のみが着衣を許されるローブに身を包み、氷の玉座の上にいたのである。その時、既に《スノーホワイト》は分別がつく状態であった。氷の宮殿において凍てつかぬ自分を「人外の存在」――人はそれを"異形"と呼ぶ――であるという感覚を既に備えていたのだから。
そして、この地を――【絶対王朝】を――一歩でも踏み出ると、自分は溶けて消えてしまうという事も知っていた。だから、彼女は宮殿の玉座に今日も一人で座っていたのである。彼女の横には誰もいない。ただ、気が遠くなるほどの時だけが傍らに居たのだった。
さて、女王《スノーホワイト》は、退屈だった。
何しろ、この地から離れる事が出来ぬため、宮殿において他の国の様子を覗き見る事の出来る水晶玉を眺めて暇を潰すか、行けども行けども氷ばかりの領地を散歩するくらいのものだった。
そこで、退屈を癒すため、今日もまたちょっとしたまじないを執り行う。
《スノーホワイト》がおもむろに玉座から立ち上がり、右手の杖を虚空で振った。
大広間に粉雪のような光が舞い降りる。汚れなき光が瞬きながら、氷柱を垂らした鉄鎧に降り注ぐ。
すると、大広間脇で微動だにせずに立ち尽くすのみであった鉄鎧の置物が小刻みに震えたかと思うと、一斉に手を挙げはじめた。
「愚直なる我が衛兵ども、集合じゃ!」
凍てついた空気を切り裂く高音の声。鉄鎧たちは驚き、顔を見つめあいながら何やらひそひそと話し合っていたが、一斉に頷いてがちゃがちゃと騒々しい音を立てながら彼女の元へと駆け走った。
がちゃん! その一団の中でも一際鈍重そうな一人が勢いよく転んで騒々しい音を立てた。
その遅れた一人が最後尾で膝をついて臣下の礼をとった。
鉄鎧は総勢十名。《スノーホワイト》の恐るべき能力によって自らの意思を与えられた鉄鎧。女王の為ならば喜んでこの身を捧げる、勇敢で誇り高き衛兵ばかりである。
で、あるのだが。
その女王は、まだ怖いもの知らずの少女なのである。
「皆の者、よく聞くがよい」
《スノーホワイト》が腕組みをしながら厳かな口調で目の前で平伏する鉄鎧らに語りかけた。
「――わらわは、退屈じゃ」
え? 突然の言葉に全員が首を傾げる。
「そこで勇敢なる我が衛兵に勅令を下そう。何かわらわが気に入りそうな面白い物を外から持って参れ!」
勅令などとは如何にも大袈裟だが、何と無慈悲な命令か。
何しろ宮殿の外にあるのは分厚い氷ばかりである。
案の定、困り果てた一人の鉄鎧がおずおずと挙手した。
「女王陛下、よろしいでしょうか……?」
「何じゃ?」
「面白い物とは、具体的にはどのようなものでございましょうか?」
「わらわが見た事の無いようなものならば何でもよい。……そうじゃな。例えば二つ尾を持つ白豹とか、足を生やした魚とかな」
《スノーホワイト》の言葉に鉄鎧全員が再び慌てふためいて、何やら相談を始める。
「ええい、何をしておる! 相談は宮殿の外でやれ! 早く行かぬか!」
痺れを切らした我侭女王の怒声が宮殿をびりびりと震わせ、全員が飛び上がって我先に扉へと向かう。
「全員駆け足じゃ!」
さらに追い討ち。鉄鎧はつるつると滑りながら、宮殿外へと飛び出して行った。
大広間に再び沈黙が訪れる。
しかし、その沈黙は数秒も持たなかった。
『おいおい、何て人使いの荒い女王様だ?』
突然、どこからか男の声が聞こえた。まるで二人が同時に喋っているかのように聞こえる。
頭の中に直接響く声に《スノーホワイト》は動きを止め、溜息を吐く。
「……何の用だ。《バンシー》よ」
『へへへ……いや何、ちょっと女王陛下のご機嫌伺いにね』
玉座の影から、まるで蒸気が立ったようにゆらりと黒い影が湧きあがる。まるで朧げであったそれは、渦を巻きながら少しずつ人の形を成していく。
人はそれを、嘆きの妖精――《バンシー》と呼ぶ。
【絶対王朝】の女王《スノーホワイト》同様、嘆きの妖精《バンシー》も人々に"異形"などと呼ばれ、伝承として語り継がれている存在である。
ただ、やはり地方によってその扱いは異なる。黒髪をなびかせる美しい妙齢の女性であったり、黒づくめの衣装に身を包んだ老婆であったり、人か悪魔かも判別できぬ影のような姿であったり。
ただ、《バンシー》の泣き声が聞こえた夜。それはたくさんの人が死ぬ予兆である――という点のみは一致しているのである。
「ご機嫌伺い? 残念だが、わらわはそなたの声を聞いただけで気分を害すのだがな」
《スノーホワイト》は顔色も変えず、精一杯の皮肉を投げつける。しかし《バンシー》は、女王の皮肉にも怯まずに低い声で哂う。
『ほっほっほ。それは失礼致しました。てっきり私めをお待ちだと思っておりましたもので』
「! ……だ、誰がそなたなぞを!」
『そのようにむきになられますと、私もどうしてよいものやら困ってしまいますなあ。ふふふ……』
「く、くうっ……!」
《スノーホワイト》は、《バンシー》に心の内を見透かされている事に気付き、頬を赤らめ口を噤む。
《バンシー》と《スノーホワイト》との縁は、遥か昔からのものであった。
人の世の移り変わりを、水晶玉を通してしか見た事の無い《スノーホワイト》にとって、自分よりも遥かに長い時を経てきた《バンシー》の減らず口から語られる物語は一流の講談師も顔負けで、傾聴に値したのだ。
例えば、王の位にまで上り詰めた偉大なる詐欺師の話や、世界でも最も弱い騎士が遺した偉大なる武勇譚(サーガ)。嘘つき詩人の謡った流行歌などなど。そのどれもが心躍る冒険譚。まだ見ぬ、そして永遠に知る事が出来ぬであろう未知の世界。
氷で出来た駕籠の中にいる《スノーホワイト》にとって、《バンシー》はずっと物知りで、愉快な者であった。誇り高き氷の女王として、それを認めるのは屈辱であったのだが。
「そなたも随分と暇そうだな。世の戦はまだまだ続いておるというのにな」
《スノーホワイト》がじろりと横目で睨みつける。《バンシー》が泣く夜はたくさんの人が死ぬ。
『ふぉふぉふぉ……戦乱はまだまだ続きますから、私めも毎晩のように嘆かねばなりますまい』
影がふわりと横を向いた。
突然、玉座の傍らに置かれている水晶玉が鈍い光を放つ。
そこに写し出される風景は、とある地方の農村。
本来であれば今頃は収穫期。今年は好天に恵まれたから、畑には大粒の麦が実り、果物も甘くなったであろう。農民からは笑顔がこぼれ、収穫祭の準備におおわらわであったろう。
しかし、村は既に廃墟。
簒奪者から略奪され尽くした家々は無残に破壊され、辺りに累々と横たわる死体。人の気配は皆無で、空をぐるぐると舞うのは死の匂いを嗅ぎつけた烏だろうか。
血に染まる畦道の突き当たりに広がる踏み荒らされた麦畑の真ん中に立つ悪趣味な案山子。
しかしそれは、裸に剥かれて慰み者にされた後、命を奪われたうら若い女性の死体。
「――!」
《スノーホワイト》は余りの惨劇を直視出来ずに目を逸らす。
『よく見るんだ! 《スノーホワイト》!』
《バンシー》の怒りと悲しみとで上ずった声。
『人間は我等を"異形"などと呼ぶ。しかし、自分たちのやっている事は何だ? 無益な戦乱で血を流し、略奪に明け暮れ。奴等のやっている事の方がよほど異形ではないかな』
「――そんな事、私に言われても……」
氷の女王の頬を涙が伝い、それは床に落ちる途中で氷結し、床の上でかんかつんと音を立てて飛び散る。
その姿は、気高き氷の女王でも、恐るべき“異形”でもない。
地獄を思わせる光景に心傷める様は、まさしく幼い少女のものであった。
『――いや、これは失礼した。何も陛下を泣かせようと思ったわけじゃない。つい気が高ぶってしまっただけだ』
しかし、と《バンシー》は頭を振る。
『この戦乱は、……まだまだ続く』
人ならざる二人は、声を失う。吹雪が吹き荒ぶ音が、今日はやけに残酷に響く。
宮殿の空気が凍りついたその時だった。
「陛下! 陛下!」
二人の背中から投げられる乾いた叫び声。
その声の主である鉄鎧の一人が大広間に駆け込み、――すってん、と転んだ。
「どうしたのじゃ、騒々しい!」
「ははっ! 実は……」
鉄鎧が冑の面貌の辺りを痛そうに撫でながら、
「陛下のご命令である面白い物を発見したのでございますっ!」
「面白いもの?……あ、ああ。そう言えばそんな命令もしたかな」
「へ、陛下!?」
「案ずるな、ほんの冗談じゃ。……で、その面白いものとは何か? 金鱗の人魚か、或いは不死鳥の羽根か?」
「い、いえ、その、こちらでございます」
次いで鉄鎧が数人がかりで抱えて来たもの。それは――。
毛皮の防寒具に身を包んだ銀髪の少年であった。
「何じゃーー!?」 (続く)
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2003年半ばに執筆、自分のwebサイトに上げたものを、5年の年月を経て、再び陽の目を見せたい。
とりあえず、中編に続く。
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