「女王の為の賛歌(ほめうた)」 (中)
少年は夢を見ていた。
風景が大きく歪み、灰色に塗り潰された世界。そこに一人ぽつんと立ち尽くす銀髪の幼児。
(――ああ、これはまだ子供だった頃の俺だ)
顔に切り傷擦り傷を山ほどこしらえた涙を堪える風の幼児。幾つはまだかさぶたになりかけの痛々しい傷。
(――間違いない。あれは俺だ。強かった父さんに憧れて、自分も剣士を目指していたんだ)
幼児の周辺に幾人かの人の姿が現れた。姿かたちは老若男女それぞれ異なっているが、皆、顔がのっぺらぼうになっていて表情が見て取れない。
――あれが、英雄メーリングのご子息か。
――何か、似ても似つかぬ子だのう……。
――まるで女の子のようじゃ。あれでかの剛剣が振るえるものか。
――さては血は繋がっておらぬのではないか。
――有り得ぬ話ではないな。メーリング殿は出陣に明け暮れ、家庭を省みぬというしな……。
彼等のひそひそ話が烈しく胸の奥底を抉る。
「うるさい!」
幼児が涙を這わせながら怒鳴った。固く握り締めた拳が小刻みに震える。
「ち、父上と母上を馬鹿にするなっ! 僕は……僕は……英雄メーリング将軍の息子だ!」
途端、辺りに嘲笑が響いた。それが如何なる理由のためか理解するには幼児は余りにも幼い。ただ、それが侮蔑の証である事は肌で感じた。
「わ、笑うな! 笑うなっ!」
しかし、嘲笑は止まない。
世界が、暗転していく。曙光は見えない。
そして、終幕。
「――う……うん……」
『お目覚めかい?』
耳元、というか頭の中に響く、野太い男の声。
意識を取り戻した少年が目を開け、視力を次第に取り戻す。ぼやけていた視界の焦点が定まっていくに従い、自分の置かれている状況を理解しだす。
(生きている!?)
少年は勢いよく跳ね起きた。身体に掛けられていた幾枚もの毛皮の毛布がずり落ちる。
「……って、どこだ、ここは?」
四方を氷で囲まれた部屋。身体を毛皮の毛布に包まれ、頭元に置いてある金色の火鉢からは柔らかな熱が放たれている。
室内をきょろきょろと見回すと、足元の少し先では、鉄鎧を付けた二人が氷で出来た盤と駒でチェスに興じているではないか。
「……何だ、あれは?」
その疑問を思わず声に出して言ってしまった。鉄鎧が少年の方を振り返った。
「あっ、起きた起きた!」
「良かった! 心臓止まりかけていたのにね」
鉄鎧がまだ蒼ざめている少年の顔を無遠慮に覗き込んだ。
「ひいっ!」
少年は近寄る鉄鎧から飛び離れた。
「な、中味がない!」
確かに鉄鎧には中味が無い。面貌の向こうにあるべきはずの顔は全くの空洞なのだから。
『おいおい、命の恩人に対して化け物扱いは酷いんじゃないか?』
虚を突かれた少年に、先程の野太い声の追い討ち。
見ると、人の形を成した黒い影が、こちらへたゆたいながら近寄ってきたではないか。
「いやー、実際化け物なんですけどね」
中味のない冑が上下に揺れ動く。どうやら笑っているらしい。笑い声も実際に聞こえるが、鎧がぶつかり合う音の方が騒々しい。
『しかし僕、本当に運が良かったぞ』
傍らの黒い霧がゆらゆらと揺れ動く。少年は野太い声がこの影のものであることをようやく悟った。
「いや、でも本当に奇跡だよね」
「でも女王陛下が『わらわが人工呼吸を!』なんて言い出した時にはびっくりしたよね! 溺れたわけじゃないんだし、陛下の息なんて吹きかけられたら凍死しちゃうよ」
少年は理解した。
「――そうか、俺死んじゃったんだ」
人の言葉を話す影と中味のない鉄鎧に囲まれては、そう思うのも無理もないのかも知れない。
その時、小部屋の扉が厳かに開かれた。
「――目覚めたようじゃな」
それはこの場に相応しくない、聖なる鐘の如き透き通った声色。
少年は目を見開いた。目の前に現れた少女の美しさに。
切れ長の瞳、真っ赤で艶やかな唇、白い肌。
その刹那、少年が跳躍した。
まるで豹の如き軽やかな足取りであっという間に少女の元まで近寄ると、その細い腰をぐいと掴み、身体を引き寄せた。
「な……!」
『ええっ……!』
「嘘……」
先程まで凍死寸前だった少年のとった予期せぬ行動に、少女も影も鉄鎧も呆気にとられ言葉を失った。特に少年に腰を手繰り寄せられた少女は初めての体験故の恥ずかしさが混じり、完全に固まってしまった。
「――大丈夫。もう心配はいらない。君は僕が護ってみせる!」
少年が、その少女に優しく問いかける。数秒置いて、ようやく少女が我に帰った。
「な、何じゃと?」
「この醜き"異形"どもに囚われていた憐れな少女よ。もう恐れる必要は無いよ! 偉大なる剣士メーリングの息子であるこの僕が、君をこの牢獄から助け出して……」
「いい加減にせいっ! いつまで触っておる!」
怒りで顔を強張らせた少女が、何か大きな勘違いをしている様子の少年の頬を思い切り張った。
ばしっ!
憐れな少年は顔の形が変わるほどの衝撃を受け、部屋の片隅まで弾き飛んでいった。
「大丈夫か? 少年よ」
鉄鎧が少年の膨れ上がった頬に氷枕を当てた。
「――はあ。どうもすみません」
「気にする事は無い。我等の姿を見れば誰でも驚く事は間違いないのだから」
「…………」
少年はぺこりと頭を下げ、押し黙る。彼の頭の中では、つい先程までの記憶が反芻されていた。
「こ、この《スノーホワイト》に対して、このような破廉恥な真似を……!」
《スノーホワイト》は怒りと恥ずかしさで顔を赤く染め、今にも溶け出しそうなほど熱くなっている。
「す、《スノーホワイト》!?」
部屋の隅まで弾き飛ばされ、上と下とが逆になっている少年が居住まいを正した。
少年も、無論《スノーホワイト》の伝説は知っている。
「そう、わらわが《スノーホワイト》。【絶対王朝】を治める女王にして、氷の統率者、制御者」
ようやく落ち着きを取り戻した《スノーホワイト》が胸を反りながら、厳かに語る。
「そなたが我が領地にて行き倒れておったところを、我が衛兵らが見つけ、救出したのじゃ。礼を述べるがよい」
少年は御伽噺で語られていた《スノーホワイト》を目の前にして、驚きの余り声を失っていたが、突然大声で笑い出した。
「ど、どうしたのじゃ?」
「そうか、そなたがかの《スノーホワイト》か! ちょうど良い。私が初めて剣を交えるには相応しい相手だ!」
「…………」
「人の世界で我が物顔を浮かべる"異形"の者よ。さあ、どこからでもかかってこい! 私が見事討伐してくれん……」
そこまで言ったところで、目に見えぬ速さで近寄った《スノーホワイト》に、もう片方の頬を張り飛ばされ、少年の身体が今度は小部屋の壁まで吹き飛び、頭をしたたかに打ち付ける。
「――ふふ、さすが《スノーホワイト》よ。さあ、我が首級を挙げるがいい……」
そこまで言うと、少年はまた気を失った。
その涙を誘うほど滑稽な道化ぶりに、その場に居合わせた全員が頭を抱えたのだった。 (続く)
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(中)編を上げる。この当時の僕は、本当にファンタジィが好きだった。
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