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2008年9月16日 (火)

「女王の為の賛歌(ほめうた)」 (下)

「しかしまあ、女王陛下に喧嘩を売った勇敢な剣士はそなたが初めてだ。実に面白い物を見させてもらったよ」
 何か言い返す気力も無い少年は両頬に氷袋を当てたまま、鷹揚に笑う鉄鎧を見やった。
「初めて……ですか?」
「ああ、初めてだな。何しろ陛下は御料地から外へ一歩たりとも出られた事がないのだ。人と逢われるのも初めてのはずだ」
 少年は頭に擡げる疑問に、首を捻った。
「でも、《スノーホワイト》の伝説は数百年前から語り継がれていると耳にした事が……。あの娘、いやいや《スノーホワイト》はどう見ても、僕と同い年くらいしかに見えませんが」
「ふふっ、女王陛下は、あれでも百余歳なのだがな」
「ええっ……!」
「人よりも幾分か長命で、時の流れが幾分か緩やかなだけだ……ただ、《スノーホワイト》は次の世代へと襲名されていくもの。今の女王陛下の前にも《スノーホワイト》はいたのだ」
「先代の《スノーホワイト》……。という事は、今の《スノーホワイト》のお母上という事?」
「君等の考え方ではそうなるだろうな。間違ってはいないが、もともと君等が"異形"と呼んでいるものは私も含めて概念的な存在であるから、人や獣のように明確な血の繋がりがあるわけではない」
「はあ……」
 判ったような、判らないような。
 少年の曖昧な表情を、鉄鎧は見抜いていた。
「人には理解出来ぬ世界だ。無理に判ろうとせんでいい」

 少年と鉄鎧の会話は、玉座の水晶玉で全てお見通しである。
「……あのお喋りな鉄鎧め、余計な事までぺらぺらと……!」
『ふふふ、何か妙に苛ついておるな。さては陛下、かの鉄鎧が羨ましいと見える』
 《バンシー》がくぐもった声で言う。
「なっ、何を……!」
『先程も、かの少年に抱きかかえられた時に一瞬うっとりとした表情を見せていたように思ったが、私めの錯覚でしょうかな?』
「う、うるさい!」
『おやおや、ほんの冗談でしたのに、そんなにむきになられるとは』
 もはや何を言ってもからかわれるだけだとようやく気付いた《スノーホワイト》は押し黙り、玉座の横に置かれている剣に視線を移した。
 伏していた少年の傍らにあった剣。少年の持ち物である事は間違いないのだが。
(このような剛剣を、あのような華奢な少年が扱えるものか……)
 身長も決して高くはない痩せっぽちの少年であった。このような剣よりも厨房で包丁でも握っていた方が似合いそうな優男である。
 しかし、この剣は――。
 《スノーホワイト》はそれを片手でひょいと担ぎ上げた。
 普通の長剣よりも5インチは長いだろうか。刀身も幅広で、重さに至っては通常の長剣の倍はある。
 長い柄を固く握りしめ、鞘から剣を一息に引き抜くと、鈍い光を放つ刃が現れる。刃こぼれ一つ見られぬ刃先は、名剣の証であろう。どれほどの名匠とて、生涯に一本造られるか、造られないか。
「これは……」
 美しい、と《スノーホワイト》は素直に思う。
 貴族が戯れのために扱うドレスソードのように鉱色石や黄金で装飾されているわけでもなく、形状も実に無骨な長剣。
 しかし、刃こぼれの生じていない刃先は無意味な装飾を軽く凌駕する美しさを放っている。まるで白磁を思わせる細やかな剣先。
『これは、斬る剣ではないな。叩き潰す剣だ……』
 《バンシー》の呟きに、《スノーホワイト》も同意の頷き。
 戦場において、鉄の甲冑に身を固めた相手を斬るのは難しい。ましてやドレスソードなどでは衝撃に耐え切れずに折れてしまうのが関の山。
 しかし、この剣は違う。圧倒的な重さと固さで鎧ごと叩き潰す事が出来よう。故にこれを扱うには、それ相応の腕力と剣技が必要となる。
『――あの少年、英雄メーリングの息子、とか言っていたな』
「ああ」
『英雄メーリングというのは……』
「恐らく、《東都の猛獣》メーリング・ハインリヒ……」
 《スノーホワイト》も、メーリング・ハインリヒの名は知っていた。東都の領主、ノイマン卿の配下の将軍である。
 幼き頃から戦場を駆け抜け、百を超える戦争に参軍しているメーリングの戦歴は華々しいなどという表現を超え、もはや伝説である。
 人の倍はあろうかという巨躯を誇る、強力の剣士。顔に引っ掻き傷のような禍々しい刺青を施し、剣を一太刀振るえば十を超える首が宙に飛んだという伝説が残されている。その苛烈な戦ぶりに近隣諸国から《東都の猛獣》と渾名され、彼が参戦したというデマが流れただけで敵軍は恐れの余り戦意喪失し、遂には我先にと敗走したという。
 しかし天はニ物を与えぬもので、こと大局の戦略や大軍の指揮統率能力においては剣技ほどの優れた才は持ち合わせていなかった。
 故に敵軍軍師らの計略に落ち、度々敗地に塗れ、遂には北都の領主ロッソの軍の前に首級を挙げられる事となった。これが三年前の話。
 英雄を失った東都の軍勢の士気喪失は著しく、諸国の侵攻を防ぐ事も適わず、遂に北都に併合されたのが昨年の話。
 メーリングの首は東都の城の守閣に晒され、一族は殆ど囚われ、ロッソの手により処刑された。
 数年という時は、《スノーホワイト》や《バンシー》にとっては、一回の瞬きほどの時間でしかない。しかし、あの少年にとっては……。
「何と長い長い時であったことだろうな……」
 彼女は、少年が過ごしてきたであろう数年間に思いを馳せる。
 英雄の子息としての何不自由ない生活からの暗転。その苦労は手に取るように容易に想像できる。
『しかし思い出して見るがいい。貴方に飛び掛った時の事を』
 《バンシー》に言われるまでも無い。《スノーホワイト》も思い出し、身震いする。
 獣を思わせる、あの軽やかな身のこなし。速さ。
 彼女自身も予期していなかったとはいえ、予想外の速さに全く対応が出来なかった。
(もし、少年がわらわの命を狙うつもりであったならば――)
 最悪の事態を予測し、《スノーホワイト》は百余年生きて、初めて未知の感覚を覚えた。それは、畏怖。
『英雄の血を引く少年。華奢な優男と侮る事は出来ぬぞ』
「うむ……」
 目を細めた《スノーホワイト》の前に、話の主役たる少年が現れたのは、そんな時であった。
「あ、あのっ!」
「おお、勇敢なる剣士殿。目が醒めたか?」
 《スノーホワイト》が意地悪な瞳で睨む。少年は冷静さを取り戻している。自らの愚かな振る舞いに深く恥じ入った様子で、氷の床に手を付き、素直に平伏する。
「――命の恩人に対しての無礼な振る舞い、万死に値するところです」
 ふっ、と《スノーホワイト》は笑った。
「もう別によい。顔を上げい」
 《スノーホワイト》はいともあっさりと彼を赦した。彼女から怒りの感情はとうに消えている。
「その代わり、一つわらわの質問に答えてくれぬか?」 
 《スノーホワイト》が剣を鞘に収める。
「何故、そなたはこのような場所で行き倒れておったのか?」
 そもそも【絶対王朝】に立ち入る物好きな輩に《スノーホワイト》はお目にかかったことがない。止まぬ吹雪と餓えた獣。命の危険だらけのこの地にやってくるなど命知らずもいいところである。
 少年は、彼女の問いになかなか口を開こうとしなかった。
「どうした?」
「う、それは……」
「《東都の猛獣》のご子息さまが、何故このような僻地を彷徨っておられたのか?」
「……知っておられるわけですね、父上の事を」
「先程からお主が偉そうに口上しておったではないか」
「……今よりもずっと幼かった頃、下らない事が原因でいじめっ子たちと喧嘩になった事がありました。身体の小さな僕はこっぴどく打ち据えられたのですが、悔し紛れにメーリングの息子であると名乗ったのです」
「…………」
「彼等はそれを聞くと突然怯え出して、遂には逃げ出してしまいました。僕はその時気付いたのです。東都において、父の存在がどれだけ絶対的なものであるかを」
 少年は観念したように顔を上げた。
「その時から、何か困った事があった時、僕は父の名を名乗り続けました。さすれば、大概の事はうやむやになったのです」
「しかし、その父上は戦死された――」
「北都の領主ロッソは恐ろしく残忍で狡猾な男です。彼の薄汚い策略の前に敗れたのでしょう」
「はははっ!」
 《スノーホワイト》は可笑しくてたまらないといった風に笑い出した。
「薄汚いだと? 戦に卑怯も何もあるものか!」
 その言葉に少年は消沈し、唇を噛み締めている。
 この人一倍素直で利発な少年には恐らく全て判っているはずだ。
戦がどれだけ醜いものか。そして誇るべき東都の英雄の父はその戦での英雄であった事も。《東都の猛獣》の名誉が無数の屍の上に成り立っていた事も。しかし、それを認めてしまう事は――。
 少年の気持ちが痛いほど伝わってくる。《スノーホワイト》もまた、気が沈んでしまう。
「――おお、そうじゃ!」
 わざとらしく《スノーホワイト》が手を叩いた。
「ちょうどよい。そなたの故郷が今どのような事になっておるのか見てみるか? 後学のためにもよかろう」
「えっ?」
 水晶玉に光が点った。

 東都最大の大通りでの凱旋の宴。この度の戦も大勝利に終わったらしく、歓迎の熱が渦を巻く。
 道の脇には溢れんばかりの熱狂的な民衆。酒臭く淀んだ空気が皆の身体を包み、それだけで酔ってしまいそうだ。
 宙に舞うのは色鮮やかな紙吹雪。楽団・楽師らが奏でる行進曲のうっとりするほど官能的な響き。
 宴の主人公は、汚れ一つない完璧なまでの賞賛の声を一身に浴びる。横に屈強な警護兵と妖艶な美女を何人も這わせている。
 禿げ上がった頭に髭を生やした巨躯の男。
 北都の領主、ロッサ。
 薄気味悪い笑顔の仮面を貼り付け、手を振り返す。その様に、世界はますます熱狂し、さらに歪んでいく。
 沸点を超えるほど熱を帯びた夢。それは、そう、悪夢。
 皆、狂っていた。熱狂の渦の中で、皆が醒める事の無い酔いに浸っていたのだ。
 皆、叫ぶ。狂ったように。獣のように。
 ――エレ、ジェミニ!
 ――エレ、ジェミニ!
 狂った祭りは続く。永遠に続く。世界はどこまでも歪んでいた。
 灰色の空。それはひどく下品で野蛮な空だった。

「もう結構です!」
 少年が握り拳で氷の床を打ち据えた。
「言うに事欠いて、聖人(ジェミニ)だと? 聖者にでもなったつもりか!」
 少年の瞳から、悔し涙がこぼれる。
「恐らくそなたは、東都が陥落した後、北都の軍の目を掻い潜って、逃亡したのだな?」
「――父は北都の軍に大きな損害を与えました。ロッソの父への怒りは尋常ではなく、一族郎党は皆殺しにされる事は間違いなかった」
「しかし、他の都へ逃げようにも大きな街道は皆、北都の軍が封鎖している」
「――その通りです」
「で、進退窮まったそなたは、わらわの領地を経由しての逃走を試みたのじゃな?」
 少年は押し黙った。それは正解を意味している。
「――私は卑怯者です」
 少年が今にも消えてなくなりそうなほどに萎縮する。
 《スノーホワイト》も、《バンシー》も、幾人かの鉄鎧も、少年を凝視するだけであった。
「父の敵を討つどころか、命汚く追走からおろおろと逃げ惑うばかり――。この体たらくでは、よその都に逃げ込んだところで、私になど誰一人力を貸してくれないでしょう」
 不意に《スノーホワイト》が玉座から立ち上がり、少年の元に歩み寄る。
「憎き敵を討つなど、夢のまた夢……」
 "異形"の女王が、無力な少年の肩に手を置いた。服の上からひんやりとした感触が少年の身体に伝播していく。
 震える少年の肩に手を置いた《スノーホワイト》に伝播したのは、少年の心の傷。
 それは孤独、絶望と言い表す事が出来る。
 そしてそれらは、己の心に触れ合い、混じる。

 粉雪のベッドに伏せた時、これは長い夢であればいいのにと幾度も思った。しかし目覚めた時、相変わらず私は、人々から畏怖される“異形”。《スノーホワイト》。
 何度、己を恨んだ事だろう。幾度、自分に流れる絶対零度の脈動を絶ちたいと願ったことだろう。

「――少年よ、顔を上げよ」
 《スノーホワイト》の厳かな口調に、少年は溜まらず顔を上げた。
 少年は気付く。誇り高き氷の女王の吐息に。鼻先をくすぐるそれが徐々に近づく。
 そして――。
 少年の唇と、《スノーホワイト》の唇が触れた。
 その場にいた全ての者が、同じ感覚を共有していた。
 時の流れが停止し、何の音もしない。身体が麻痺し動かない。
 ほんの数秒に過ぎないそれは、まさしく永遠に感じた。
 唇が離れた時、少年はようやく正気に帰る。
「――少年よ、いや剣士よ」
 福音にすら聞こえる、聖なる響き。
「――そなたは既に誰にも負けぬ誇り高き剣士なのだ」
 少年の身体の震えが止まり、涙が止まる。
「――そなたに足りぬものは勇気」
 少年の顔が紅潮し、赤々とした生気が宿る。
「――命を軽んずるのは勇気ではない。それは蛮勇に過ぎぬ」
 心が躍りだし、今にも外へ弾け出そうとしていた。
「――強かった父を乗り越えようとする勇気であり、剛き者に弓引く事の出来る勇気」
 少年の顔は自信と誇りで満ち溢れている。泣き虫な少年の面影は無い。もう、言葉はいらない。全身を疾走する衝撃に眩暈すら覚える。
「――ここで出逢ったのも、何かの縁であろう。わらわがほんの少しだけそなたに勇気を分けてやった」
 《スノーホワイト》が、剛剣を少年に返す。
「――わらわの加護ある限り、そなたが敗れることはない」
 少年が口を固く閉じ、力強く頷く。
 《スノーホワイト》が微笑んだ。
「――闘え」

 ※

 それから数百年の時を経ただろうか。
 《スノーホワイト》はまだ生きていた。目元口元に多少皺は増えたが、妖艶さは増した。崇高で荘厳な表情。もはや、あの意地っ張りな少女ではない。
 玉座の横に置かれた青白く光る水晶玉に映る帝都の映像。
 栄華を誇った《千年帝国》の帝都は、もはや見る影も無い。
 あの泣き虫の少年――アーダルベルト・ハインリヒという名の――が打ち立てた《千年帝国》も解体の時が来た。
「――始まりがあれば、終わりもあるのだ」
 《スノーホワイト》が独り言を呟いた。
 そして、あの日の接吻を思い浮かべ、目を閉じた。

 あれ以来、《スノーホワイト》は恋に落ちていない。

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 原稿用紙にして42枚。「<<千年帝国>>の破局」という世界設定のもとで、暇にあかせて、幾つかの短編と多くの掌編を書いた。その中でも、実はお気に入りの一作である。

 内容は、いわゆる二次創作に近い。ありきたりの世界観、設定。オリジナリティは皆無である。「偉大なるマンネリ」に支配された剣と魔法の世界を舞台にし、一連の物語を「帝都騒乱記」と仮題した。気恥ずかしいのであるが、後出しジャンケンはしたくないし、あえて手直しはしていない。内容の稚拙さ、世界観の甘さについては突っ込んでくれて構わない。これもまた、「青春の甘酸っぱい思い出」である。

 ――やっぱりファンタジィは素晴らしい。いや、ファンタジィの定義は難しいけれど。

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